【未来への咆哮】
《2》




 廊下へと駆け出したミクは、やがて、歩調を遅くする。目の前から、不安に満ちたざわめきが聞こえてくる。避難した人々の声だ。
 泣いている人もいる。怒っている人も、痛みに呻く人もいる。ミクはおそろしくて、ホールへと続く廊下へと歩き出すことが出来なかった。
 ―――これが、戦いなんだ。
 都市部への攻撃が始まってから、ミクは、死に物狂いで戦っていた。だから自分が何をしていたのかも正確には理解していない。広域に対して攻撃を仕掛けられるミクは、しかし、打撃力の低さが災いして、海馬や魔理沙、ロックマンたちのように一人で敵を相手にすることができなかった。だから、ずっと仲間たちの後ろにいた。自分は矢面に立って誰かの攻撃を受けることもできないで。
 ……やだよ、こんなの。
 ミクの足元に、ぽとんと涙が落ちた。慌てて袖で顔を擦り、ミクは、精一杯の力で足を前へと踏み出した。ホールを通り抜けないと防衛線の張られた場所までいけない。なんとかしないといけない。
 ホールの入り口を横切って、そして、銃声が絶え間なく聞こえてくるバリケードのほうへ。だが、そうやってホールを横切ろうとした瞬間、ミクの耳が、ふいに、こんな場所で聞こえるはずのないモノを捕らえた。
 うた、ごえ?
 何人かの声が重なっている。伴奏はほとんど無い。だが、誰かが空のペットボトルを打ち合わせてリズムを取り、誰かが弦の狂ったギターを弾いている。
 その全てを煽動しているのは、一つの声だった。少女の歌声。
 ミクは思わず、引き寄せられるように、ホールのドアを開けていた。

《立ち上がれ 気高く舞え さだめを受けた戦士よ》
《千の覚悟 身にまとい》
《君よ 雄雄しく 羽ばたけ!》

 何が起こっているのか、ミクには、一瞬理解が出来なかった。それはそこにあつまる人々のほとんども、同じだっただろう。
 主に歌っているのは、子どもたちだった。

《ああ 神の刃は人の愛》
《祈りを込めて 貫け!》

 ロック調の激しいリズム。力強く刻まれるビート。その中央に居る人物の姿を見て、ミクは、思わず眼を見開いた。
 血まみれのワンピースの少女。茶色い髪と、大人しげな顔立ち。
 だが、彼女は今、まっすぐに立ち、力強く歌っていた。リズムごとに周囲の人々へとまなざしを向け、共に声を合わせるように励ます。ひとつ、またひとつと声が増えていく。まるで奇跡のように生まれてくるメロディ。

《立ち上がれ 気高く舞え 定めを受けた戦士よ》
《たとえ傷ついて力尽きても》

 力をなくして横たわっている人々。悲しみに暮れていた人々。中には、罵声を浴びせるものもいる。
「黙れっ! 何が起こってるかわかってんのか!?」
 だが、彼女は、声を途切れさせることは無かった。唇には凛々しい笑みすら浮かべて、力強く拳を突き上げる。周りの人々と共に。

《時を越え その名前を》
《胸に刻もう》
《Jast Forever!!》

「ゆき…… ほ、さん?」
 歌が終わり、人々がざわめいていた。さっきまでは皆が絶望と悲嘆にくれて黙り込んでいたのがどうしたことか。だが、思わず駆け寄るミクに、彼女が始めに言った台詞は、「スピーカーはありませんか!?」だった。
「す、スピーカー?」
「音源は、持ってるんです、私。でも、ヴォーカルだけじゃ力が出ないから。ちょっとでもいいから、バックミュージックを流したいんです」
 彼女の勢いに押されて、ミクは思わず、「機材だったらそこに」と指を差す。邪魔だからと壁際に寄せられていたオーディオセット。力強く頷いた雪歩は、側でギターを持っていた男性に、「これをあそこに」と声をかける。「ああ」と頷いた彼は、手渡されたMP3プレイヤーを手に、オーディオセットのほうへと走っていく。
 ミクは思わず、その後ろを追っていた。背後からさらに声が聞こえてくる。力強く明るいリズムのポップナンバー。いったい、どういうことなんだろう? 眼を白黒させるミクの横で、配線と格闘しながら、頭に止血帯を巻きつけた男が、「たいした嬢ちゃんだろう」と歯を見せて笑う。
「さっきまでメソメソしてたんだが、歌い出した瞬間に、別人みたいになりやがった。”アイドル”ってのはああいう生き物なのかね」
「あい……どる?」
「萩原雪歩。あんたは知らないのか? 日本だとかなり売れてるアイドルだぜ」
 
《GO MY WAY!! GO MY 上へ!!》
《ほら1人1人が この世界中で》
《One & OnlyでもNot Lonely》

 足の血は、おそらく、濡らした水でふき取っただけだ。膝やすねの傷からは今も血が滲み、いたいたしい。
 だが、彼女は、力いっぱいに声を張り上げて、歌を歌っていた。さっきまでの、大事な人からはぐれて独りぼっちになった少女の、よるべもなく泣きじゃくる姿を見ていたミクからは、信じられないような姿。
「パニックを起こしかけてたんだ、みんな」
 オーディオアンプに小さなプレイヤーを接続し、音量を調節しながら、彼は言う。
「でも、あのお嬢ちゃんが歌いだして、周り中の人間を誘い込もうとしたんだ。歌ってるあいだは不安も忘れるし、怖さも忘れられる。それが《みんなで》歌っているなら、なおさらだ」
「……それが、アイドル?」
「たぶんな」
 配線が完了する。「何を流す!」と彼が怒鳴ると、雪歩が振り返る。考え込んだのは、ほんの一瞬だった。
 そして、はっきりとした口調で、言った。
「―――《GONG》を!」





 呼び出した白き龍のブレスが、青白い雷火の旋風となって、迫り来ていた巨大な敵をなぎ払った。轟ッ、と響き渡る爆風を、立ちはだかったままで受けられたのは、海馬ただ一人だけだ。だが、青眼の白龍が姿を消したと同時に
、呻き、力尽きたように膝を突く。
「海馬さん!」
「くそ…… MP切れかっ」
 EDFの隊員たちが、背後からサブマシンガンの掃射で援護する。海馬は力を込めて立ち上がり、バリケードの後ろへと転がり込んだ。いまだ戦える隊員たちが援護射撃でいまだ残った小物の魑魅魍魎たちを威嚇する。海馬は鋭く叫んだ。
「止めろ! 前線は一時後退した! 弾薬を節約しろ!」
 顔を上げてバリケードの向こうを見れば、そこには妖怪たちの姿が一時消えている。だが、それも一時のものだと海馬には分かりきっていた。苦々しい思いで天をにらむと、頭上を怪鳥や小型の円盤が飛びまわっている。どうやら対空部隊が引き付けていてくれるから、こちらへの攻撃を警戒する必要は無いだろうが。
「隊長ッ、どうするんですか。まもなく、次の攻撃が……っ」
「オレが出る。貴様らはバリケードの後ろで地面に顔でもこすり付けていろ!」
「一人で食い止められるんですか!?」
「ふん、オレを舐めるな! どうとでもしてみせるわ!」
 だが、さえぎれるのは、次の一波が限界だ…… と海馬は思った。すでに疲労の極に近い。ブルーアイズを呼び出せても、最期にもう一撃を相手に浴びせかけるのが精一杯だ。
 本隊は、上空。地上へと投下される兵力はあくまで尖兵に過ぎない。だが、その尖兵どもを食い止めるだけで、すでに守備能力も限界に達しつつある。航空部隊へと行ったピコ麻呂たちが本隊を叩き潰してくれるまでを持ちこたえるのが地上部隊の役目。だが、ここまで無限に湧き出してくる相手に、こちらの装備と気力がどれだけ持つのか。
 ―――考えても無駄だ。
 不安になりかけた心を振り捨てて、海馬は再び立ち上がろうとする。力の入らない膝を叱咤して。
 だが、そのときだった。
「海馬さんッ!」
 ふいに、背後から、声が聞こえた。少女の声が。
「……初音っ?」
 駆けてくる、駆けてくる。 
 バリケードの背後に飛び込んだミクは、海馬のことをキッと見上げた。ミクの顔についぞ見たことのない決意に満ちた表情に、海馬は軽い驚きを感じる。
「貴様は内部で難民どもの統制を行え、と言っておいたはずだ」
「大丈夫です。みなさんは、私が何もしなくっても、絶対にくじけたりしません!」
 はっきりと言い切るミクに、ふたたび、驚く。ミクの、パライバ・ブルーの目が、海馬を見上げた。
「海馬さん、ミクさんのこと、止めてください!」
 悲鳴のような声が聞こえ、海馬だけでなく、そこに駐屯するものたちが気付く。ミクと共に、ロックマンもまた、ここへと現れていたのだ。片腕を半ば失ったままの姿。困惑と焦燥が浮かんだ表情。
 ミクは、決意を固めようとするように小さく息をつく。そして、顔を上げた。
「―――前、うかがった話を思い出したんです。海馬さんみたいな決闘者って、いろんな不思議な力を使えるって」
 それに、海馬さんは、技師でもあります。ミクが何を言わんとしているのかをぼんやりと悟って、思わず、海馬は眼を見開いた。
「初音、貴様、まさか」
「幸い、ここには音響機器が大量にあります。ロックさんはこのままじゃ戦えない。私ひとりじゃ力不足で戦力にならない」
 ミクは、海馬を見上げ、はっきりと、言った。
「……私のチップを取り出して、ロックさんに適用してください。そして、ここのコンサートホールのアンプをつないで、広域攻撃を行いたいんです」
「ミクさんっ!」
 ロックマンが、悲鳴のような声を上げる。
「どういうことなんだ、初音くん?」
 海馬の側にいたEDFの隊員が、驚いたように言う。ミクはにっこりと笑った。海馬はしばらく口をつぐみ、じっとミクを見下ろしている。
「無理があるのは承知の上です。私とロックさんは元々由来するテクノロジーがぜんぜんちがうし、コンサートホールそのものを使うことができるのかも、よく、わからないですから」
「―――いや、理論上は、可能だ」
「海馬さん!?」
 隊員が声を上げるのにかまわずに、海馬は、目の前のコンサートホールを見上げた。音響をよくするため、現代の音響技術の粋をあつめて作られたホール。
「要するにこのコンサートホールがスピーカー…… 貴様がアンプとなり、ロックマンが貴様の能力を使って広域殲滅を行う」
「できますか」
「オレを誰だと思っている?」
 海馬の唇が、かすかに吊りあがった。その笑みは、己自身を叱咤するためのもの。
 だが、そんな話にはまるで納得が行っていないのが、ロックマンだった。
 彼にしては珍しい表情、半ば泣き出しそうな顔で、「止めてください!」と声を上げる。海馬は軽く顎をそびやかし、ロックマンを見た。
「どういう意味だ」
「そんなひどいことできません! ……どうしてもやるんだったら、僕のシステムを取り出して、ミクさんに搭載してください」
「非論理的だな。そんなことは出来んし、やる価値もない」
 海馬は、ロックマンの言葉を一蹴する。ロックマンの残ったほうの手が、硬く、硬く握り締められる。
「それって…… ミクさんを壊して、チップを取り出すってことじゃないですか!」
 隊員たちのあいだにざわめきが走った。
 海馬は黙っていた。二人のロボットを見下ろす。ミクはかすかに微笑み、ロックマンのほうが泣き出しそうな顔をしていた。普段とは正反対に。
「これ以上、みなさんが戦っているのを、見過ごしていることなんて、できません」
 ミクは、はっきりと言った。強い力のこもった瞳。
「もしも役に立てるんだったら、私は、私が出来る限りのことを全部やりたい。見ているだけなんて絶対にイヤです。そして、私は、ロックさんの力を借りれば、戦えるんです」
「本来の機能を超えている。貴様はスクラップになるかもしれんぞ」
「なりませんよ」
 ミクは、かすかに微笑んだ。
「だって、ロックさんが、一緒に戦ってくれるんですから」
「……ミクさん!」
 海馬はしばらく黙っていた。だが、やがて、声を上げて笑い出す。ほとんど、呵呵大笑といってもよかったろう。やがて振り返った海馬は、「いい覚悟だ」と唇を釣り上げる。
「ふぅん、なるほどな。今の初音の理屈を借りれば、実際に、地上兵力を一度に殲滅できる。時間稼ぎとしてはこの上も無いだろう」
「ほんとうですか!?」
「海馬さんッ!!」
 声を荒げるロックマンに、しかし、振り返った海馬は笑った。獰猛と言っていいほどの笑みだった。
「戦闘用ロボットの貴様よりも、ただのボーカロイドの初音のほうが、よほど覚悟が座っている。どう思う、ロックマン」
「……僕はっ」
 ロックマンは、硬く硬く手を握り締め、うつむいた。針を吐くような叫び。
「ミクさんを壊すなんて、絶対に、イヤです……!」
 だが、その手をそっと取ったのは、ミクだった。
 ミクはロックマンの顔を覗きこむ。そこには決意と、そして、この上も無い信頼の色がある。
「大丈夫です。わたし、絶対に壊れたりしません」
 だって……
「ロックさんが倒れなければ、私のパーツも無事に帰ってくるはず。ロックさんは絶対に負けないから、私も、絶対に無事に元に戻れます」
 ミクは、微笑んだ。
「だから」
 力強く、ロックマンの手を握り締める。
「―――私と一緒に、戦ってください!」
 ロックマンは、ミクを見た。
 ミクは、ロックマンを見つめていた。
 海馬が、「ふん」と鼻を鳴らす。その唇には、挑むように戦闘的な笑みが浮かべられていた。
「おい、そこの連中。25分…… いや、10分だ。10分間、この防衛線を死守しろ!」
「は、はいっ」
「こい、ロックマン、初音。最強の音響兵器を作り出してやる……」
 海馬は、手を取り合った二人に向かって宣言する。
「オレがこのようなことを言うことは滅多に無い。ありがたく思うがいい。……お前らならば、この戦局を一撃でひっくり返すことができる、最強の力を手に入れられる」
 だが、代償は大きい。海馬ははっきりという。
「特に初音。貴様の身体は、そういった使い方をするには耐久力が低すぎる。出来るか」
「出来ます」
 ミクは、何の迷いもなく、はっきりと答えた。
「ふぅん、いい覚悟だ。……要は貴様のほうだ、ロックマン。制御に失敗すれば、二人まとめて鉄くずになるだけだ。それでも、出来るか」
 しばらくの間、彼は黙っていた。だが、やがて初音の手をぎゅっと握り締めると、顔を上げる。
「……やります」
 ロックマンもまた、はっきりと、言った。
「ミクさんも、この都市のみんなも、僕が護ります!」