【恋するVOC@LOID】
2.アリス→ツン




「ねえ、ちょっとミク…… 何やってるの!?」
「アリスさん?」
 部屋に入ってきたアリスがぎょっとした顔で身を引く。ミクは手早く書き終わったメールを暗号化させるためのプログラムに放り込むと、外部デバイスとして接続していた自分自身のモジュールとの切断の手続きを行った。とはいえ、アリスにはミクが自分のヘッドセットから伸ばしたコードを、パソコンにつないでいるようにしか見えなかっただろう。アリスはしばらく面食らったようにミクを見ていたが、くるくると巻いたコードをポケットにしまうのをみて、ようやく我に帰ったらしい。
「その変な形の箱、パソコンって言うんでしょ。何やってたの?」
「はい、お兄ちゃんにメールを送っていたんです。ひさしぶりに自由になるパソコンを譲ってもらったから、ちょっと、使いたかったプログラムをいろいろ入れられたので」
「自由になるねえ……」
「キーボードが壊れちゃったから、私以外には使えないんです」
 ね? といってパソコンを指差すミク。たしかに、哀れなノートパソコンのキーボードはほとんどキーがはがれている状態で、かろうじて防水用のビニールを張っているという状態だった。誰がやったのかは一目瞭然だろう。
 アリスはしばらくあきれたような顔をしていたが、「まあ、いいわ」とすぐに気を取り直す。ヘッドセットのUSBケーブルのジャックの始末をしているミクの傍までやってきて、透き通ったネオンブルーをした、長い長い髪を手で掬い上げた。首をかしげるミク。アリスは、「埃がひどいわね」といって、なれた手つきでぱたぱたと髪をはたいた。
「そこに座りなさいよ。さっきまで上海人形の手入れをしてたんだけど、そういえばミクも人形だったって思い出したの」
「手入れ、ですか?」
 アリスは近くの椅子をひっぱってくると、ミクの前にスタンドミラーを起き、大きなブラシをひっぱりだしてくる。髪飾りを外し、長い髪を何回か指で梳いた。ミクはちょっと顔をしかめる。ひっかかって痛い。
「あの、アリスさん、大丈夫です。私、ちゃんと自分でやってますから」
「ぜんぜんダメよ。ぼろぼろじゃない。人形の髪って人間と違って痛みやすいんだから、専用のブラシとトリートメントを使って手入れしたほうがいいの」
 やっぱり人形使いだから、ミクのことも気になっててね。アリスはそう言ってにっこりと笑う。髪を撫でる手が慣れていて優しく、ミクは無性にくすぐったい気持ちになった。「はい」と大人しく頷いて、アリスの厚意に甘えることにする。
 解いた髪は引きずるほどに長く、透き通るようなネオンブルーは、やはり、人間のものとはまるで違っていた。少しいい匂いのするトリートメントをスプレーしながら、アリスはていねいにミクの髪を梳いてやる。「いい髪ね」としみじみとつぶやいた。
「人毛じゃないけど、なんの繊維なのかしら。絹糸かなあ」
「いえ、たぶん合成繊維だと思います。聞いたことはないけど、前、メイコ姉さんにもミクの髪色は特別だって言われたことがありますから」
「ふうん、お姉さんがいるの。いいわね、真っ直ぐで、艶があって。ぼさぼさ頭と違ってするするブラシが通るもの」
 誰のことを言ってるのかな――― ミクはぼんやりと思う。
「アリスさんは、お人形を作るんですか?」
「そうよ。私は人形遣いだからね。自分であやつる人形は、作ることもあるわ。でも、ミクみたいに自分で動いたり喋ったりする人形はまだ作ったことないわね。私はまだ新米だから」
 アリスは何かを勘違いしている気がする。ミクの困った顔を鏡越しに見て、アリスは、「科学も陰陽道も気功も、全部魔法みたいなものよ」と澄まして言った。
「結局、むつかしいことをするには、いろいろと勉強と修行が必要だってのはおんなじでしょう? 対して変わらないわよ、そんなの」
「ロボットと人形もおんなじですか?」
「同じじゃないかしら。幻想郷には生きた人形もいたけど、ミクは、対してそれと変わらない感じがするわね」
 銀のブラシで髪を梳かれるのと同じくらい、アリスの細くて白い指がうなじに触れるのが気持ちがいい。アリスさんなら分かるかな。ミクは、鏡越しにアリスの顔をみつめながら、思い切って、問いかけて見た。
「アリスさん…… 人形って、心はあるんですか。アリスさんの世界だと?」
 アリスの手が、一瞬止まった。
「恋をする人形とか、恋の出来る人形とか、そういうのって、いるんでしょうか。私も人形とおんなじだったら、心があったり、恋したりできるんですか?」
 普段はツインテールに結い上げている髪を下ろしたミクは、その目と髪の色を除けば、普通の人間の少女に見える。色が白く可憐な顔立ちのアリスのほうがよっぽど人形のように見えた。しばらくアリスは黙っていて、やがて、ふたたびミクの髪を梳き始める。ていねいなブラシの動き。
「場合によるわね。歳を経た人形は妖怪になって、そうなったら私とかと殆ど同じ。私も幻想郷だと妖怪ってカテゴリの種族だからね」
「そう、なんだ……」
 ミクは、かすかに、感嘆のため息を漏らした。アリスの言葉がロボットのことを言っていなくても、そういう風に言ってもらえるとやはり嬉しい。だが、それに帰って来たアリスの返事は、なにか、ひどくつめたく、そっけないものだった。
「でも、つまんないわよ、恋なんて。それに心も」
「え?」
 アリスは静かにミクの髪を梳く。声は冷静で、そして、淡々としていた。
「ミクが誰のこと好きになってるか知らないけど、誰かに恋をするって、自分が自分じゃなくなることだもの。自分の心を誰かに盗ませるなんてバカみたい。自分の心のこと、自分自身より大事にしてくれる人なんていないのに」
「アリスさん……?」
 青いガラスのように透き通った目をしたアリスは、少し、悔しそうな顔をしているように思える。ミクには分からない、複雑すぎる、繊細すぎる、もつれたレースみたいな思いが、そのひとみに浮かんでは沈む。
「誰かを好きになったってね、相手が自分を好きになってくれるとは限らないんだから。だから恋なんてバカみたいなのよ。ミク、せっかく人形に生まれたのに、そんなものに振り回される必要ないわよ」
「アリスさん、そんなこと、ないです」
「そうなのよ。まだ、ミクには分からないと思うけどね」
 アリスはそういってにっこりと笑い、それから、ふと思いついたように、「そうだ」という。ミクの髪からひとふさを分けて、器用な指で編みこみはじめた。なんといったらいいのかわからないでいるミクの髪をきれいな三つ編みに編むと、その先端をゴムで留める。そして、ちいさな花の飾りが付いた髪飾りをパチンと止めた。
 これ、見覚えある。ミクはとうとつにそう気付く。
 たしか、ロックといっしょに買い物にいったとき、市場で売っていた髪飾り。勿忘草の花のかざりはミクの髪では色がまぎれてしまって、似合うとは言いがたかった。似合うのはむしろアリスの淡い金髪にだろう。けれどアリスは満足げに笑うと、ぽん、と頭を叩いて、「それ、あげる」と言った。
「もらい物だけど、いらないもの。あんたのほうが似合うわよ、ミク」
「もらえないですっ」
 ミクはあわてて立ち上がる。だが、アリスはその両肩に手を置くと、ぐいと無理やり座りなおさせて、「いいからつけてなさい」と言った。
 背中越しに、鏡の向こうのアリスが、ミクのことをじっとみつめた。ふと、その表情が悔しそうに、可笑しそうに、くしゃりと歪んだ。笑顔だった。すごくさみしそうな笑顔だ、とミクは思った。
「ミク、誰のこと好きになったのか知らないけど、人間だけはやめといたほうがいいわよ」
 だって。
「最後に泣くのは、あなたのほうになっちゃうもんね」
 もうミクには、何を言ったらいいのか、まったくわからない。
 ぽん、と最後に自分の人形にやるように頭を撫でて、アリスは、鏡やブラシをまとめた。「髪、いじらせてくれてありがとうね」と笑う。
「いいなあ、その髪。何をつかってるのか分かったら、今度、おしえてよ。私のあたらしい人形に使わせてもらうから」
「アリスさん、あの……!!」
「可愛いわよ、その髪」
 好きな人に見せてやりなさいよ、とアリスは悪戯っぽく笑う。そうして、くるりときびすを返すと、そのまま部屋を出て行った。
 長いスカートの裾がゆれるのが、最後にミクの目に焼きつく。ミクは部屋にひとりになる。何を言っていいのか、何を思っていいのか、なにもかも、ぐしゃぐしゃにもつれて、分からなかった。そうして鏡を振り返って、ミクは、とうとつに気付いてしまう。


 この髪型は、魔理沙さんとよく似てる、と。