【恋スルVOC@LOID】
4.






「検査の結果は異常なし。よかったですね、魔理沙」
「よかったも何もないだろ。私はたんこぶ一個作っただけなんだから」
 ぴょん、と検査台から飛び降りた魔理沙は、そのまま、ぶすっとした顔でいきなり検査着を脱ぎだしてしまう。よっぽどこの格好が気に入らなかったらしいと、琴姫は苦笑するしかない。
「だいたい、わたしは幻想郷だと【最速】ってことになってるんだぜ? 追突も墜落も日常茶飯事なんだからさ、自分の体のことは自分が一番分かってるって」
「でも、頭の怪我はあぶないんですよ?」
 脳に出血があった場合、数日立ってからいきなり亡くなる方もいるんですよ。いいながら、琴姫はさりげなく椅子を回して魔理沙から視線をずらした。色が白く、服の上から見るよりもふくよかな印象の体つき。いたずらぼうずのようにあちこちに青痣やすりきずをこさえていなければ、十分にお人形のような美少女で通るのに、と琴姫は思う。思って、はあ、とため息をついた。
「なんだよ?」
「あのね、魔理沙さん。アリスさんとはお友だちなんでしょう?」
「んー、そんなもんかな。腐れ縁ってやつだぜ」
「あんまり心配をかけちゃダメですよ?」
 背中の釦を器用に留めながら…… ファスナーすらついていないとは、なんともレトロなデザインのドレスだ、と思う…… 魔理沙はちょっとだけ黙った。それからニッと悪がきの顔で笑うと、「あいつがわたしの心配なんてするわけないだろ」と言う。
「もう……」
「じゃ、めんどくさい検査ありがとな、琴姫。一回やっときゃ十分だよな?」
「頭をぶつけたらまたやりますからね。そのときも、ちゃんと協力してください」
「もー、めんどくさいなー」
 最期に帽子を頭にかぶって、箒を担いで医務室を出る。すると医務室の前の椅子に少年が一人座っていて、魔理沙を見つけると、「検査、どうでした?」と言った。
「ロック?」
「ちょっと魔理沙さんに用事があって、待ってたんです」
「へえ、そっか。だったら中まで来てくりゃ良かったのに」
「……魔理沙さん、検査中だったんでしょう?」
「台の上に寝てたら変なトンネルをくぐらされたりとかさ。最初は楽しかったけど、最期は退屈しちゃったよ」
 だから平気だって言ってるのに。その検査の間、仮にも女の子がどんな服装だったとかを考えていないあたりが実に魔理沙らしい。そのまま歩いていく魔理沙の後を追いかけてロックはテクテクとついていく。別にどこに目的地がある、というわけでもないのだろう。魔理沙のことだから箒でタンデムだろうか。どっちにしろ彼女らしい、とロックはしみじみと思う。
「ちょっとだけ聞こえていたんですけど、魔理沙さんって、【最速】って言われてたんですか?」
「おうよ」
 ニヤリ、と魔理沙は笑って、キザに帽子のつばを持ち上げて見せた。
「パワーとスピード、二つそろったわたしに追いつけるヤツなんて誰もいないぜ。なんといっても、幻想郷最速だからな」
「アリスさんは?」
「アリスとは主義が違うんだよ。どうもあいつのスペルは陰険で困るぜ…… 性格が悪いんだよ」
 まあ、後ろであいつがバンバンスペルを撃ってるから、わたしもつっこんでいけるんだけどな。そういって、それにじっと顔を覗きこむロックに気付いて、「なんだよ」とちょっと口を尖らせる。くるくると表情が変わる魔理沙。最速、とまるで子どもの自慢のように言うけれど、その言葉にはまぎれも無い自信と自負の裏づけがある、とロックマンは思った。自分もオプションによっては空中戦をすることもあるが、魔理沙のようなアクロバットまがいの特攻戦法を取る勇気もなければ自信もない。だからこそ分かる。彼女の一見軽い口調の裏にある確固たる自信。
 でも、今回はそれが裏目に出たんだけど…… ロックはそんな風に思いかけて、頭を切り替える。本題を反芻する。ミクと打ち合わせと相談を繰り返した本題を。
「ところで、魔理沙さん。さっき、ミクさんが悩んでた話についてなんですけど」
「ん?」
 魔理沙は、なんともばつが悪そうに顔をしかめた。
「わたしとアリスが、仲直りとか?」
「それもなんですけど、そっちが本題じゃないんです。魔理沙さん、心のあるロボットと、そうじゃないロボットの差ってなんだと思いますか?」
 魔理沙は眼を一瞬丸くして、それから、変な顔になる。美少女が台無しだ。
「―――いきなりなんなんだよ?」
「ミクさんが悩んでた話って、結局、そこにたどり着くらしいんですよ」
 ロックマンは、いかにもそれらしい真面目な顔をつくってみせた。
「ミクさんはまだマスターアップ、えっと、動き始めてあんまり立っていないんです。だからまだ自我がはっきりしていない。自分が、本当に【自分の意思を持って動いているか】に自信がないらしいんですよ」
「へえ……そうだったのか」
「アリスさんとはそういう話を元々していたらしいんです。魔理沙さんたちの世界だとどうだったんですか? 心のないモノと心のあるモノを分ける差って」
 ええ? 魔理沙は顔をしかめて、ぽりぽりと頬をかいた。
「―――そういうややこしい話は、わたしの得意分野じゃないぜ」
「そういう人のほうがいいんですよ」
「人形か。人形ねえ…… ああ、そんなのもいたな」
 考えていると、なにやら思い当たったらしい。魔理沙は肩をすくめた。
「ロボットのことはわたしには分からない。でも、妖怪とか妖精だったら、自分が【わたしには心がある、魂がある】と思うかどうかが境目ってところかな。そういうことを言い出すようになったら、よわっちくても一人前ってところだろ。スペルを撃つまであと1歩だ」
「そうなんだ…… でも、その人形が、誰かに【私には心があります。魂も在るんです】って言われるように【作られた】んだとしたらどうですか?」
「そういうのはアリスに聞け」
 魔理沙は、ロックマンの質問を一蹴した。ロックマンは苦笑した。
「ロボット相手だと、人工知能の研究とかだといろんな理論が出ているんですよ。有名なのだと、【チューリングテスト】とか」
「チュー? 誰だ、そいつ。妖怪か?」
「そ、そんなもんかなあ…… えっと、アラン・チューリングって言って、人工知能が本当に知性をもったのかどうかを判定するテストを考えた人がいるんですよ」
「ふーん」
 いかにも興味がなさそうな返事が可笑しい。
「で、それってどういう内容なわけ?」
「えっと、基本的にはチャット、つまり、実際に顔が見えない状態で、テストをする側の人間と、AIが会話をするっていう内容のテストなんです」


「ひとつの題材について、相手が人間か、それとも人工知能かを明らかにしないで会話をして、点数をつけるんですって」
「それで、人間だと思われたら、その人工知能には実際に【知能】があるって判定する、と…… なるほどね」
 外の世界にも面白い話があるものね。アリスはそんな風につぶやいて、顎に手を当てる。なんとかアリスの興味を引けたらしい。ミクはほっとして息をつきかけるのを、あわてて隠した。
 EDFの休憩室バルコニーからは、青く晴れ渡った今日の空がよく見えた。今はその空を荒らすものもなく、澄み切った空はあくまで明るい。車や飛行機が飛ばないせいもあるのだろうが。
「そうね、どんなに本人が自分には自我があるって主張していても、それがまったく妥当に思えなかったら、本当の自我・心だとは認められない。逆にどこからどう見ても心があるように見えるものに対して、それが【人間ではないから】という理由で自我を認めないのもおかしい。そういうことね?」
「そういうことです。……だ、だと思います」
 アリスはつっかえつっかえに喋るミクを、横目でちらりと見た。クレバーな人形使い相手に、ミクのような出来立てのロボットが隠し事なんて出来るわけがない。でも、ここまでは推測済みだ。ミクは思い切って「だから、その」と本題を切り出した。
「私に心があるかどうかっていうのも、そういう風に決めてもらえばいいかなって!」
「……ふうん?」
「もちろん、私はボーカロイドだから、お喋りは苦手です。でも、歌を歌うために生まれてきたんだから、本当に心のこもった歌を歌えたら、機能としては十分なはずです」
 アリスは、しばらく黙っていた。青い眼がじっとミクを見つめて、心を見透かされそうでドギマギする。やがてアリスはニヤリと笑うと、「なるほどね」と頬杖をついて見せた。
「あなたが、私を…… ”七色の人形使い”を納得させられるほどの歌を歌えたら、たしかに、一人前扱いされるにも十分でしょうね。少なくとも私たちのルールなら」
「聞いてもらえますか? いえ、テストしてもらえますか?」
「いいわよ」
 アリスは、あっさりと言った。
「実際、ミクは私にとって面白いわ。魔法もつかわないで、あなたみたいに大きな人形が動けて、歌も歌えて、って不思議な話だもの。ぜひともこっちが付き合わせてもらいたいくらい」
 ただし、と言ってアリスは唇の片端をつりあげた。なんとも意地悪そうな笑い方。
「それで失格だったらどうなるのかしら。……ミク、上海や蓬莱と一緒に、私の人形になってみる?」
「う…… そ、それは」
「冗談よ」
 アリスはあっさりと言った。ミクは思わず情けない顔になる。くすくすと可笑しそうに笑う可憐な人形使い。
「じゃあ、聞いてあげるから、歌ってみて。いつものヤツ?」
「いえ、アリスさんに聞いてもらうから、って思って……」
 データベースから探してきました。生真面目な顔でいうと、ミクは、ぴょこんとベンチから立ち上がる。ミクがいつの間にか髪を二つに結びなおしているということにいまさらアリスは気付く。
 ミクは眼を閉じて、ヘッドセットに手を当てる。タンタン、タタン、とつま先がコンクリートの床をタップし始めた。
 リズミカルなテンポ。ポップなコード。透き通った声は、ミクの髪やひとみと同じ色だ。透き通ったブルーグリーン。
 ミクは歌を歌うとき、いちばん、生き生きとしている。アリスは頬に手を当てたまま、そんな風に思ってちょっと苦笑した。普段の訥弁さが信じられないくらい。
 透き通ったネオンブルーの声。
 VOCALOIDの歌声。

 ”会うたび 心臓が バクバク”
 ”日ごとに 膨らんで ドキドキ”
 ”言葉に ならなくって ユラユラ”
 ”解決 出来なくって モヤモヤ”

 聴いたこと無い歌ね…… 感心しながらもそう思う。そのときだった。
 キィ、と音がして、後ろのドアが開く。目の端でなんとなくそれを捕らえて、アリスは、それこそ、思わず腰が浮きかけるほどに驚いた。
 大きなとび色の眼をまたたいている、白黒ドレスの少女。
 霧雨魔理沙。

 ”横顔をそっと見守るよ”
 ”手をかざし空を見上げてた”
 ”待ち合わせて心あわせて”
 ”優しさと安らぎと温もりを求めて”

「……っ、何しに来たのよ、魔理沙っ」
「何って、わたしはロックに言われて、ミクの歌を聴きにきただけだぜ?」
 後ろから出てきたロックマンは、軽く済まなさそうな顔をしていた。とっさに怒鳴りそうなのを押さえこみ、アリスは代わりに思いっきりロックマンをにらみつけてしまう。あんた、何のつもりなのよ!!
「へえ、知らない曲か。なんなんだ?」
「私が知るわけ無いでしょっ」
「なんか聞き覚えないか?」
 ミクは観客が増えて、ほんとうに嬉しそうな顔をした。胸に手を当て、声がさらに鮮やかに弾む。声がリズムをタップする。

 ”あの日の出会いを今も胸に”
 ”めげない逃げないくじけない”
 ”どこまでもあなたと二人で”
 ”つま先で鳴らすリズムにほらね合わせて”

「―――大っ嫌い」

 ぼそっ、とアリスがつぶやくのに、魔理沙が、「なんだよ?」と眉を寄せた。
「大嫌い、って言ってるの。あんたに邪魔されて台無しよ。せっかく、ミクの歌を楽しもうと思ってたのに!」
「お前、そんなにわたしのことを気にしてたか?」
 魔理沙の口調があまりに自然すぎて、逆に、アリスのほうが眼を見開く。
「別に、わたしが居てもいなくても、人形のことだったら夢中でいられるはずだったじゃないか。気にしないで聞いてろよ」
「―――ッ!!」

 ”孤独な夜が終わって”
 ”越えてきたときの長さに気付く”
 ”心の底に芽吹いた”
 ”知らない気持ち膨らんでいく”

 怒鳴りかけて、必死で呑みこむ。こんなところで邪魔をしたらミクが可哀想だ。だがしかし、なんでこんな歌を歌うんだろう。よりにもよって、こんなときに。
 気持ちをむりやり呑み下すと、胸の奥が苦くなり、しょっぱくなった。なんで、私が魔理沙なんかのために、こんな気持ちになんないといけないのよ!
 何もかも、魔理沙の無鉄砲と無謀のせいだ。アリスは思い出す。
 魔理沙が怪我をしたときのこと。
 いつものようなアクロバットの勢いで、すさまじい勢いで妖怪どもの空を飛びまわり、次々と相手を撃墜していく魔理沙。威勢良くばら撒かれたスペルカードが光と代わり、文字通りの弾幕となって、降り注ぐ攻撃を受け止めていく。その姿はいつもと同じだった。幻想郷で始めて出会ったその日、まだ、魔理沙が今よりもあどけない顔立ちをしていて、けれど、今と同じくらいに勝気で無鉄砲だったころと。
 だが、ここは、幻想郷ではなかった。
 放たれる火箭は華麗さを競う”スペル”ではなく、その一撃一撃が、相手の命を刈り取る意思を秘めた”攻撃”だった。
 それを忘れていたのは、魔理沙ではなく、アリスのほうだった。
 アリスは見た。自分のほうへと降り注いでくる炎の塊と、それを見た瞬間、あきらかに魔理沙の顔色が変わったのを。
 慣性も、重力の鎖も引きちぎって、こちらへとつっこんでくる魔理沙。
 放ったスペルで相手の攻撃を迎撃し、けれど、自分自身は衝撃を受け止め切れなかった魔理沙。
 轟音、塵芥、真紅。

 ”優雅なワルツで踊りましょう”
 ”負けない退かない揺るがない”

「アリス?」
 黙りこんだっきり何も言わないアリスに、魔理沙が、ふと、心配そうな顔をする。
 優しくなんてしないでよ、と叫びたかった。
 
 ”いつでも胸の中叫んだ”
 ”私はなぜいつまであなたが恋しいの”

 だが、魔理沙の手は、アリスの髪に触れた。
 ファンタジーの挿絵に描かれる、中世の姫君のような、亜麻色の髪に。
 その瞬間、VOCALOIDの透き通った声が、恋する少女の透き通った思いを込めて、歌う。

 ”―――だいすき。”

 アリスは、とたん、自分の中の何かの器が、いっきに、あふれ出すのを感じた。
 ぼろぼろぼろ、と目から涙がこぼれた。
「あ、アリスっ!?」
 さすがに、魔理沙もそれには驚いたらしい。普段はとても見せないくらい露骨にうろたえて、あわててアリスの顔をのぞきこもうとする。涙を拭えばいいのか、そっちを押しのければいいのか。同時にやろうとしてどっちも失敗した。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、アリスは、「魔理沙のバカ!」と怒鳴った。
 ミクも驚き、うっかり声を止まらせかける。だが、他の誰かがやってこないようにドアの前に立っていたロックマンが、そんなミクを見て、うながすように強く首を縦に振った。ミクは気付いて、うん、と頷き返す。弾むリズムがタップする歌声。だが、可憐に透き通った歌声はただの合成音のそれではない。隠した思いをつぶやく少女の歌声だ。

 ”どうしてなぜなのかしら”
 ”思いは伝えたら壊れちゃうよ”
 ”アナタとは違う種族”


 ”最後に泣くのは 私なんだから”

 ラストフレーズ。ハミング。エンディング。
 歌いきったミクはぺこんと頭を下げて、その瞬間、アリスに「ミクっ!」と大声で怒鳴りつけられて、すくみあがった。
「あんた…… あんたねえっ」
「アリスさん、待ってください! これ、僕が選んだんですっ」
 慌てて、ミクとアリスの間に、ロックマンが割り込む。青い眼いっぱいに涙をためて、怒ればいいのか泣けばいいのかわからないアリスに向かって、「騙してごめんなさい!」と勢いよく頭を下げた。
「その、チューリングテストとかって嘘で、これは、僕がミクさんにお願いしたことで…… えっと」
「そ、そうじゃないですっ、ロックさんっ。私がお願いしたんですっ」
 お互いにお互い、責任をひっかぶろうとしあうロボット二人に、思わずアリスも気を飲まれる。小柄なロックマンの後ろから精一杯に身体を乗り出したミクは、「ごめんなさい!」と声を上げる。
 ネオンブルーの目は、今にも泣き出しそうだった。が、泣いてはいない。ミクはなんとか震える声を整えようとする。
「私が、その、アリスさんが哀しそうにしてるのって、魔理沙さんが心配だったからだって思ったんです。でも、じょうずにお二人のあいだに入ることができなくって、……私は歌うこと以外は得意じゃなくって……」
 その、と言いかけて、とうとうミクは言葉を無くす。あわててポケットに手を突っ込み、何かを引っ張り出した。青い小さな花の髪飾り。
 勿忘草の、髪飾りだった。
 ミクは、半分、泣きそうな声で言った。
「やっぱりこれ、もらえません。魔理沙さんが一生懸命がんばったからもらった大事なもの、アリスさんじゃなくってわたしが持ってるなんて、やっぱりおかしいもの」
「……―――っ!!」
 アリスは何かを言おうとした。が、言えなかった。
 声にならなかった。
 ミクは今にも泣きべそをかきそうな顔をしていたが、実際に泣いているのはアリスのほうだった。
 バカは魔理沙じゃなくって自分のほうだ。
 危ない、たった一瞬の隙が命の危険に繋がる場所にいて、それでも暢気に油断をしていた自分。そして、危険に気付いた瞬間に、怖気づいてしまった自分のほう。
 魔理沙は、そうじゃない。危険を知っていても、いつもの魔理沙のままでいた。勝気で無鉄砲で、そして、無謀で勇敢な、いつもの魔理沙のままで。
「……バカ。ミクのバカ、魔理沙のバカ、ロックのバカっ!!」
 アリスは、かんしゃくを起こした子どものように怒鳴った。ぼろぼろ泣きながら。
「あんたたち、何、なんでもなかったような顔してんのよ! 死ぬかもしれなかったのよ!? 魔理沙なんて人間じゃない! 人間なんて、弱っちくてすぐ死んじゃうくせにっ!」
 ―――なにもしなかったとしても、ほんの100年もたてば、絶対にそうなってしまうように。
「魔理沙のバカっ。嫌い、嫌い、大嫌いっ!」
 最期まで息を振り絞って怒鳴って、そして、とうとうアリスは声が続かなくなった。あとはしゃくりあげながら涙を流し続けているアリスに、「あー……」と、魔理沙は困ったように頭を掻いた。
「なんだ、その、わたしは…… ン……」
 後ろを見ると、ロックマンがじっとこっちをみていた。前を見るとミクがこっちを見ていた。挟み撃ちだった。逃げ場なんてなかった。
 魔理沙は、観念したように、はあっとため息をついた。ガリガリと頭を掻くと、意を決し、ミクの手から髪飾りを取った。
「おい、アリス。人のことバカバカ言いやがって。それに、わたしは簡単に死ぬほど弱くなんてないぞ?」
「……泥棒のいうことなんて信じられないわ」
「取ったら取り返せ。命をとられたら取り返す。そういうつもりなんだからさ、そんな顔するなよ」
 魔理沙は、ちょっと困ったように笑って、アリスの髪に手を触れた。赤いリボンの横に、なれない手つきで髪飾りをつける。
「いらないからって言ったけど、それは、【わたしにはいらない】ってことなんだよ。さっきもいったけど、わたしは絶対に死んだりしないからな」
 だから、と魔理沙は言う。
「こういうお守りみたいなものは、お前がもってるほうがいいってことだ。……えっと、そういうことじゃダメか?」
 アリスは眼を上げて、それから、また、ぼろっと大粒の涙をこぼした。勿忘草の色をした目。魔理沙は露骨にうろたえた。
「え? ダメ? これだけじゃ? え、えーっと」
 手を伸ばして、エプロンの裾で涙を拭いてやる。それからしばらく考えていて、あ、と魔理沙は思いついたように声を上げる。
「そう、それに、こいつはお前が一番似合うよ。だからお前が持ってろって。な?」
「―――ばかっ!」
「え? えええ? そ、そういうことでもないのか??」
 二人がまだごちゃごちゃと何かを言っているが、ミクの手を、後ろからそっとロックマンがひっぱった。ミクが振り返ると、手まねでそこを出ようと示した。
 二人は、音もなくこっそりと、バルコニーを出て行った。






 
「―――上手く行ったね」
「はい! ……でも、上手く行き過ぎて、びっくりしました」
 はあ、とため息をついて、ミクはぐったりと自分の膝にもたれる。非常階段の途中にすわっているものだから、せっかくの髪が錆びた階段にのたくっていた。ロックマンは苦笑しながら長い髪を避けてやる。
「アリスさん、ほんとに、大好きなんですね。……魔理沙さんのこと」
「うん」
「恋をしてると、女の子って、あんなに泣いたり怒ったり、するんですね。いつもはアリスさん、冷静で、すごく頭がいいのに」
「うん……」
「好きとか、大好きっていえなくって、でも、そういう風に思っちゃうんですね……」
「う、うん、……あはははは……」
「ロックさん、どうしたんですか?」
 なんでもない、とロックマンは答えた。なんだか妙に気恥ずかしそうに眼をそらしているが、ミクには何故なのかは分からなかった。ちょっと首をかしげて、けれど、少し笑って空を見上げた。
 青い空。泥棒魔法使いのフィールドである空で、素直になれない人形使いのひとみの色の空だ。
 ミクは、自分がはじめに、兄に送ったメールの内容を思い出す。
 それから、まだまだ自分には、そういう気持ちは分からないな、と素直に反省した。
「ロックさん、私、まだまだダメですね」
「え、何が?」
「アリスさんほど、”女の子”にもなれてないし、”恋”もできてないなって」
 恋の歌を歌っても、その本当の気持ちは分からない。泣きべそをかくこともできないし、意地を張ったり、素直になりたかったり、ぐしゃぐしゃの気持ちも分からない。
 甘い恋は知っているかもしれない。でも、苦い恋は知らない。
 それじゃ、まだ、ココロの半分だけだ。私はまだまだ、幻想郷の二人がいうところの、【一人前】にはなれていないな、とミクは思う。
 なにやらしょんぼりしている様子のミクを、ロックマンはしばらく見ていた。やがて、「あのさ」と控えめに切り出した。
「はい?」
「さっきの歌……実は僕、ぜんぜん聞いてなかったんだ」
「え?」
 きょとんと眼を丸くするミクに、ロックマンは、苦笑しながらガリガリと頭を掻く。しかたなかったかな、とミクもすぐに気付いた。あの状況じゃ、集中して聞いてなんていられない。
「だから、聞かせてもらってもいいかな。すごく、きれいな声だったから」
「……」
 ミクはちょっと黙った。考えた。
 そして、答えた。
「えっと、ダメです」
 ロックマンは、眼をきょとんと丸くする。その顔を見て胸がちょっとあったかくなる。ミクは生真面目ぶって答える。
「あれはアリスさん専用です。でも、別の歌だったら、聴いてもらいたいかな……」
「ああ、そっか」
 ロックマンも、少し笑った。意味が分かっているのかいないのか、どっちなんだろう、とミクは思う。
 チューリング・テスト。心のあるロボット。恋をするロボット。
 誰かがそのココロを、恋を本物だと思ったら、それは、本物なのだ。
 ―――じゃあ、私は、ほんとうの恋の歌を歌えるようになろう。
 もっともっと好きになって、もっともっと上手に歌えたら、それがきっと、ミクにすることの出来る、いちばん素敵な恋のかたちなのだ。
「じゃあ、歌いますね」
「うん!」
 つま先でタップ。リズムを取って。透き通ったボイスでフレーズを爪弾いて。
 弾み出すハミング。ミクは紡ぎ上げる。

 ”朝 目が覚めて”
 ”真っ先に思い浮かぶ”
 ”キミのコト”

 側でミクの歌を聴いているロックマンの視線が、大事な人を見るようであり、小さな女の子でも見るような目なのが、嬉しく、また、ちょっと悔しい。
 ミクはそんな気持ちを確かに感じながら、歌いあげる。
 VOC@LOIDの、恋の歌を。




【アリス→デレ】:sm1886723
【メルト】:sm1715919